考えるおっぱい

日々常々。

愛すべき、クズの咆哮

私の父は究極のクズだ。DV、浮気、幼児虐待、借金、嘘…そういう事を繰り返しながら、台風が日本列島をなぞるように(方角こそ違えど)、東から西へと移動しながら女性を泣かして歩いたらしい。母や私もまた、彼の被害者であった。ただ、私はその暗い生い立ちを話したい訳ではない。

 

私が3歳のときに離婚が成立し、全てカタがついて更に西へ父が旅立ったのは5歳の時だ。父親というものの役割を一切果たさずに私をただ創作して去って行った父を私は何故か恨んではいない。

 

ハタチの節目に祝いたいと言う父と、久しぶりに会った時のことだ。父は相変わらず歳をとらず若い風貌で、全身ブランドで決めていた。父はいつもいい匂いがして、10歳くらいは若く見えた。相変わらず、女には苦労していない様だった。

 

 

しかしながら、父は相変わらず孤独だった。父もまた、両親の愛情を受けていなかったと聞いている。青森の名家に長男として生まれ育った父は、その下にいる弟や妹に比べて出来が悪かった様で、きつく当たられて祖母の家に逃げ暮らした。その後、高校卒業後に親と縁を切り上京。友人もいない大都会で父はどうやって生きてきたのか、考えただけでも胸が痛む。

クズにはクズの事情というものがあるらしい。父はそうやって、自信のない自分をブランド物や盛った話で装飾し、人を愛するということを知らずに生きてきたのだと思う。

 

昨晩だったか、朧さん(@OB_RT)のツイートを見て気がついたことがある。

 

私は、男性から愛されたことがない。というよりか、愛され方も愛し方も教えてもらっていないから分からないのだ。だから、同じような”愛し方を知らないクズ”とばかり付き合ってきたのだと思う。愛を受けられなかった彼らの「誰でもいいから、愛をくれ」という咆哮に導かれているのかもしれない。そうして、私もまた気づかぬうちに「私を愛して欲しい」と吠えているのかもしれない。生まれてから今まで、男性からの愛を私はまだ知らない。