考えるおっぱい

日々常々。

妊娠するということ

今日は、友人の営むビストロに食事に行った。

彼女はたった一人で、この店を切り盛りしている。

小さいお店なのだが、私はそこが一番のお気に入りポイントなのだ。

彼女と他のお客さんとの距離が近く、一人で行っても大家族の食卓よろしく、賑やかに食事ができるのがとてもいい。

そんなお店の、いつも彼女が腰掛ける椅子に、首を傾げてしまうものを見つけた。

 

『たまごクラブ』

そう、マタニティ雑誌である。

 

彼女は結婚もしていないし、彼氏もいないと言っていたわけで。

「客が置いて行ったんだな」と勝手に思い巡らしていたらば、私の視線に感づいた彼女が急に平謝りしてきたのである。

 

「まだ結婚もしていないので、なんて言ったらいいかわからなくて…ほんとごめんなさい!」

 

あぁ、私が常に結婚したいなどと言っていたから内緒にされていたのか、と他のお客の「妊娠のこと、知ってましたよ」という顔を見てようやく気付いて、急に寂しくなった。

絵の具を含んだ筆を、一気に水の入ったバケツの中でかき回したような、濁った、なんとも言えない気持ちが広がった。

 

お祝いにと、彼女お手製の紫蘇ジュースで乾杯をしながら、妊娠や結婚をすれば幸福なのだろうかとぐるぐると考え込んでいた。

正直なところ、結婚どころか彼氏の存在すらない私にとってはとても羨ましい話である。

だけれども、急に宇宙の果てからドドーンとやってきたような”我がお腹にいのち”という状態を考えてみたら正直怖いような気持ちしかしない。

どうやら、旦那にしろ、彼氏にしろ、ましてや赤ん坊に至っては、”ご縁”という名の下に、心の準備ができている人からやってくるものらしい。

今にも欲しいようで、本音では「今ではない」と自分でも分かっている。

「結婚したい!」は30になって女性という”性”と”子宮”という臓器を持て余している私の挨拶のようなものなのだ。

 

自分に向けられた哀れみの視線を弾き飛ばして、自転車での帰り道。

それでも星はすごく綺麗で、月が優しかった。

彼女がこれから受け取るであろうたくさんの幸福に、今とてもワクワクしている。